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石巻市 地域情報
石巻市(いしのまきし)は、宮城県東部に位置する、県内第二の人口を擁する市。

概要
広域合併により、市域は北上川下流の仙台平野(石巻平野)から、女川町を除く三陸海岸南端(牡鹿半島)一帯まで広がった。旧北上川河口に中心部を持ち、石巻都市圏の人口は約21万人(2000年国勢調査時点)、世帯数は59,065世帯である(2006年(平成18年)3月末)。

金華山沖(三陸沖)では、黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかるため世界三大漁場の1つとなっており、漁場に近い本市は全国でも有数の水産都市となっている。市内の万石浦でカキの養殖法が開発され、世界中に広がった。

歴史
戦国時代、石巻の日和山に戦国大名・葛西氏が日和山城を築いた。のちに葛西氏は大崎氏に対抗するため伊達氏と同盟を結んだ。当時、葛西氏は大崎氏と共に、伊達氏・蘆名氏に次ぐ勢力を誇った。

戦国時代末期、伊達政宗は東北地方(奥羽)の南半分を征服して“奥羽の覇者”となったが、1590年、豊臣秀吉に服属した。同年、豊臣秀吉が北条氏政親子を降して“日本統一”を達成すると、葛西氏は大崎氏などと共に小田原征伐に参陣しなかった責任を取らされて取り潰しとなる(奥州仕置)。一方、小田原に参陣して秀吉に服属した政宗は征服地のほぼ全てを没収された。政宗はこれに不満を抱き、葛西・大崎の旧家臣を扇動して反乱を起こさせた(葛西大崎一揆)。しかし政宗の一揆扇動は豊臣秀吉に発覚し、政宗は改易は免れたものの領地を今の福島県・宮城県南部・山形県南部から宮城県全域・岩手県南部に領地替えされた。こうして石巻地方は伊達氏の領地となった。

1613年、伊達政宗はスペイン帝国との通商交渉のためにスペイン王国およびローマ法王庁に支倉常長を正使とする慶長遣欧使節を派遣した。政宗はメキシコとの太平洋貿易を計画しており、石巻近くの港でサン・ファン・バウティスタ号を建造して石巻の月の浦から出航させた。このとき、それまで小さな漁村だった石巻は“国際貿易港”として整備された。しかし、スペインとの通商は実現しなかった。

伊達政宗は仙台領内の新田開発を目指し、家臣・川村孫兵衛に命じて“東北地方最大の河川”・北上川の流れを変えるという大工事を行った。こうして北上川は現在の石巻港付近で太平洋につながった。

江戸時代の石巻港は、北上川水運によって南部藩領からも米が下り、河川交通と海運との結節点として、日本海側の酒田港と列んで奥羽二大貿易港として全国的に有名であった。また、東北太平洋岸海運の拠点として、千石船による江戸(東京)との交易も盛んで、江戸期の長い期間において石巻港から江戸へで送られた米は、江戸市中で流通する米の半数を占めたと言う。藩政時代には名実ともに仙台藩の経済の中心地であった。また旧仙台藩内で唯一貨幣の鋳造を許され、現代でも鋳銭場という地名が石巻駅前に残っている。日本人として最初の世界一周を成し遂げた津太夫一行は石巻港を拠点としていた。1793年に石巻を出発して江戸に向かったが、アリューシャン列島(当時はロシア領)に漂着してロシアで10年程過ごした後、遣日使節のニコライ・レザノフらの船に乗って1804年に世界一周を成し遂げ、同年長崎に帰国し、1806年にようやく帰郷した。

戊辰戦争で敗戦した仙台藩が、明治元年に表高62万石から28万石に知行域が減らされた際、石巻とその周辺は仙台藩から分離され、高崎藩取締地を経て石巻県となり、明治政府の直轄となった。この時、政府は石巻を東北地方を管轄する拠点とする予定で、東山道鎮台を石巻に設置することを決めた。実施をみないまま、改組された東北鎮台は本営を石巻、当面仙台におくことにした。結局そのまま移転は実現せず、以後も国の出先機関などは仙台に置かれた。

高度経済成長期に至るまで、船運が鉄道やトラック流通に置き換わっていったため、港の機能は沿岸漁業から遠洋漁業まで対応する漁港として発達し、また、石巻工業港の建設によって第二次産業も発達した。これらの産業基盤によって都市化が進み、商業などの第三次産業労働者が多くを占め、宮城県東部の商業拠点となった。都市圏人口もバブル景気まで伸び続けた。
(ウィキペディアより一部抜粋)
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