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岩国市 地域情報
岩国市(いわくにし)は、中国地方の西部、山口県の最東部に位置する市。

概要
山口県の最東部に位置し、小瀬川を挟んで広島県と接している。広島県広島市と山口県周南市の中間地点に位置する。名勝・錦帯橋や国の天然記念物・白蛇(岩国のシロヘビ)生息地で知られる。また、広島市(広島県西部)や周南市などと同様に、瀬戸内工業地域の一角を担っている。中国山地に端を発し、広島湾に注ぐ錦川の作った三角州上の岩国飛行場には、在日米軍(海兵隊)と自衛隊(海上自衛隊)の基地が存在する。

山陽本線や山陽自動車道・国道2号といった幹線交通網が市の東西を貫き、岩国錦帯橋空港、岩国港、山陽新幹線新岩国駅、さらに第三セクター鉄道である錦川鉄道などがある。観光都市としての一面も持ち、錦帯橋・岩国城を中心とした市内各観光地には年間約300万人の観光客が訪れる。

現在の岩国市は2代目にあたり、2006年(平成18年)3月20日に旧・岩国市、玖珂郡由宇町、玖珂町、本郷村、周東町、錦町、美川町、美和町の8市町村が新設合併し誕生したものである。なお、合併後も、旧岩国市の区域を除き、旧町村名は残されているが、読み方が「〜町(ちょう)」「本郷村(ほんごうそん)」から「〜町(まち)」「本郷町(ほんごうまち)」に変更された。

旧岩国市は、江戸時代には、吉川氏の治める岩国領の城下町であった。長州藩から永らく支藩として認められなかったため、岩国領が岩国藩となったのは大政奉還後の慶応4年であった。市の北部は、農業、林業、古くは鉱山(河山・玖珂)の町として栄えていた。現在は、その古称を用いて「山代地域」と総称している。

歴史
岩国の名前は万葉集にも見られ、古くから山陽道の交通の要衝であった。守護大名・大内氏が中国地方を統治していた室町期まで、岩国氏・広中氏といった豪族がこの地を治めていた。関ヶ原の戦いの後、長門・周防の2国に減封された毛利家前当主・毛利輝元は、東の守りとして、毛利元就の次男・吉川元春の三男で、吉川家を相続していた吉川広家(広家は武断派と言ってよかろう、関ヶ原の戦いにおいて徳川方に通じ、毛利本家を参戦させないように画策した。結果として家康より広家に対して防長2州を与えられたが毛利本家安泰のため固辞した)に岩国を与えた。以後、岩国は、吉川家が治める岩国領6万石の城下町として発展していく。後述のように、関ヶ原敗戦の原因を毛利両川(小早川の裏切りと吉川の内応)のためと考えていた毛利本家から、幕府に対して支藩としての推挙がなかったため、岩国領と称された。吉川氏が諸侯に列し、大名となったのは慶応4年のことである。したがって岩国藩と呼べるのは、それ以後からのこととなる。旧市街である、錦見(にしみ)・岩国・横山といった現西岩国駅・川西駅の周辺が繁栄した。江戸年間、岩国藩と長州藩は幕末まで吉川家の家格をめぐって疎遠であった。このためか旧岩国市域の住民は山口県に帰属しているという意識は薄い。また、現在の錦川下流の沖積平野は、吉川藩時代における殖産興業政策により埋め立て開墾された部分がほとんどである。この質素倹約政策のため、徳川政権時代に始まった派手な祭りは無いと言って良い。関ヶ原の戦いにおける吉川広家の施策のためか、第一次長州戦争の際、萩藩と幕府側の仲裁に岩国藩主・吉川経幹(監物)が出向いた。また四境の役(第二次長州戦争)では小瀬川を挟んで芸州口の戦いの兵站地となった。

明治維新後、廃藩置県で岩国県になるが、間もなく山口県に統合される。1925年(大正14年)、現岩国駅周辺の麻里布地区に帝國人造絹糸(帝人)の工場が建設された。以降、天然の良港である岩国港を基盤にして山陽パルプ工業(現・日本製紙)、東洋紡績などが進出。「人絹町」と呼ばれる工業地帯が発展した。和木町、大竹市に跨る三井石油化学(当時。現: 三井化学)のコンビナートは日本初の石油化学コンビナートである。

昭和に入り、近隣の広島や呉や江田島と並んで、日本陸軍燃料廠や海軍潜水艦訓練基地や海軍岩国航空隊などが設置され、軍事都市としての色が濃くなり、別々の町だった岩国と麻里布が合併して市制を敷いた。同市の柱島には日本海軍の錨地が置かれ、戦前、戦中を通して泊地として使われた。また、太平洋戦争末期には旧市内の藤河地区には牧場に偽装された特攻隊発進基地が準備され、平田地区では丘陵に防空壕を備えた一般道路に似せた飛行機用滑走路を準備したが、本格的運用を見ないで終戦となっている。また、終戦前日の1945年(昭和20年)8月14日、山陽本線・岩徳線の分岐点であった岩国駅は米軍の戦略空襲を受けている。

戦後は旧来よりの企業により工業都市として発展を遂げる。旧日本海軍の航空基地跡に在日米軍の岩国基地も設置され、米軍の日本国内での軍事拠点の一つとなっている。このため、煙突等の高さに規制がかかり、新規企業の誘致が困難になった。岩国空港は米軍に接収される前は民間航空機も就航する国際空港であった。海上自衛隊・米軍との共用への動きとともに市民の篤い要望でもあった民間空港再開は、2012年12月に岩国錦帯橋空港が開港したことで実現した。
(ウィキペディアより一部抜粋)
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